フィクションの住人たち

幻想は現実から生まれ、現実を過酷にしました。

俺はいつも空から何かが降ってくるのを待っている

更新ボタン連打の心理
 
ツイッターでもモバゲーでもmixiでもなんでもいいが、みなさんはタイムラインを表示したまま更新ボタンを連打された経験はないだろうか?
もしくは、YouTubeのホーム画面で、チャンネル登録している投稿者たちの更新がないか隅々まで探したことは?
それをブログに置き換えても、小説家になろうなどの創作投稿サイトに置き換えてもいい。
 
俺は基本的に365日、ほとんどそんな風にして過ごしている。
また、世の中のほとんどのインターネットユーザーが似たようなものか、もしくはYouTubeで動画なんて見ている時間や精神の余裕がないかのどちらかだろう。
(さすがに偏見か?)
 
我々人間のほとんどは消費>生産に偏った傾向を持つ。
つまり、俺たちのほとんどは人から褒め称えられる何かとか、社会に貢献する何かを生み出すことはなく、巷の食事だとかドラマだとか政策だとか一部の「生産する側の人」が作ったものを与えられ、そしてそれに「こうだ」とか「いや、こうだ」と感想を持つわけだ。
 
おそらく、「生産する側の人」は俺のように、ツイッターで更新ボタンを連打したりYouTubeの動画を血眼になって探したりはしてないだろう。
少なくとも俺よりその程度は遥かに低いはずだ。
彼らにはそんなことをしている暇も、必要もない。
生産することは、おそらく消費するだけの生活よりは俄然豊かだろうからだ。
 
そして消費と一口に言っても色々ある。
例えば、ベストセラーを探すことは容易いが、誰も知らない名書を探すのは非常に難しい。
俺は図書館で、気になった本に手当り次第少しずつ目を通して面白い本を探す、というのをやったことがあるけど、すぐに挫折した。
面白い本はたくさんあるのだが、たくさんありすぎて途方もなさすぎる。
 
しかし、こんなことを続けられてしまう人も世の中にはいるのだ。
それは、タイムラインで更新ボタンを連打している俺の消費とはまた違った、能動的な消費なのだろうと思う。
 
言ってしまえばいつもの俺は口をあけて親鳥から餌を与えられるのを待っているようなものだ。
「面白いことが起きないだろうか」といつも渇望しているが、そのためにとりたてて行動はしない。
タイムラインやホーム画面に奇跡が浮上するのをただ待っているだけ。
 
(生産する人は偉い、という論調に見えるかも知れない。確かにそうも思っているんだけど、俺は生産する人たちに「消費させられる」ことは搾取の一環だと思っているので、生産者より消費者は卑怯だとか、そういうことを言いたいのではない。この話はまた機会があれば)
 
空から運命の人が降って来てほしいという願望
 
こういった待ちの姿勢について考えを膨らませると、思い浮かんだのが、「空から女の子が降ってくる」というやつだ。
 
ラピュタでも緋弾のアリアでも何でもいい。
何ならFateでもドラえもんでもいい。
重要なのは、平凡な日常に輝かしさとか非日常が舞い込んでくるというモチーフだ。
 
特にボーイミーツガールというのは何よりも格好の題材だ。
「少女との出会い」と聞くだけで、何やら人生が特別になりそうな気がしてくる。
自分から何も行動をせずとも、何かが起こってくれそうな気がしてくる。
俺の惰弱さ故に、俺はボーイミーツガールというモチーフに惹かれてしまうんだろう。
 
しかし、俺たちは空から女の子が降ってくるわけなどないということを知っている。
だがツイッターYouTubeへの面白い投稿はありふれている。
我々が更新ボタンを連打しているのは、限りなく現実的なレベルまで希釈された「ボーイミーツガール願望」とでも言うべきものなのだろうな、ということだ。