フィクションの住人たち

幻想は現実から生まれ、現実を過酷にしました。

友達を求めてるのかアイドルを求めてるのかっていう齟齬があると思うんです

「昔は好きだったけど、有名になっちゃったから今は好きじゃない」と誰かが言っているのを一度は聞いたことがあると思うが、実際にこういった体験をされた方は限られているのではないだろうか。
何故かと言うと、俺たちの知っている物事のほとんどは既に有名だからだ。俺たちの視界に入ってくるのは既に名を馳せたものばかりだ。テレビだろうがネットだろうが、目立つ部分を飾っているのは有名な人物である。
 
そして、有名でない物事を知る機会はごく限りないし、その上俺たちは往々にして「どれだけ人に評価されているか」を元にして対象の価値を決めてかかる。よって俺たちがそれらを愛好することは少ない。
このような機会がありふれている人というのは、おそらく一部のマニアの人たちだろうと思う。
 
俺は人生でただ一度だけ、たまたま好きだった・応援していた人物が有名になったという経験がある。
ゲーム実況動画を動画投稿サイトにアップロードしている人だ。
今回の記事はゲーム実況者と呼ばれる人たちをクローズアップする内容ではないが、今回俺が書きたい内容と「インターネットで何かやってる人」との相性がよかったので、それをあえて明かした。
 
昔俺が彼を見ていた頃は、各動画の平均再生数が多分1000回くらい、生放送の配信は30分でコメントが10個もついていなかった。
(冷静に考えれば毎回1000再生とっていたのは十分すごいのだが)
そして現在、拠点がニコニコ動画からYouTubeへ移ったので単純な比較はできないが、チャンネル登録者数10万人、平均動画再生数は2~3万くらい、ライブ配信は毎回1000人は来ている(コメントは数えられないが秒速で流れていく)。
 
YouTubeでのチャンネル登録者数について、10万人というのを少なく感じられる方もいらっしゃるかも知れないが、このあたりはYouTubeの収益だけで食べていけるようになるラインとされている。(俺の聞いた限り。ただゲーム実況は収益の単価が低めらしいので彼がそれに該当するのかどうかはわからないかも)
 
「有名じゃない人」が好きな人は友達を求めている
 
前置きが長くなったが、「有名になった前と後のファンの態度について」だ。
このことは度々議論を呼ぶ。
「あの頃と変わっちゃった。もう見ない」。
「有名になったから応援しなくなるなんて本当のファンじゃない」、など。
 
思うに、本来は議論の必要はないと思う。
無名な人を好きになるのと、有名な人を好きになるのは、大別すれば根本的に動機が違うだろうからだ。
もっと言葉の範囲を狭めてYouTubeやゲーム実況の世界でいうと、わざわざ有名で賑やかな配信を素通りして過疎っている生放送や動画へ遊びに行く人が一定数いる。
 
俺たちが幼い頃から身近にはテレビが存在したわけだが(なかった世代の方はすみません)、テレビの住人たちは決して俺たちの手が届かない存在だった。YouTubeに動画を投稿するのに試験をパスする必要はないが、テレビに出演するにはとても厳しい審査や試験が必要だったはずだ。それを乗り越え、選びぬかれた「超優秀な人々」「運にめちゃくちゃ恵まれた人」「滅茶苦茶頑張った人」だけがテレビにはいた。
 
彼らスターに俺たちの相手をしている時間はないし、テレビとはそもそも一方通行のメディアだ。見ているだけの俺たちと芸能人の間には何もない。
 
ネットで「アイドル」と「友達」の真ん中みたいな人が現れるようになった
 
やがてインターネットが勃興し、動画投稿者だとか生主だとかいうのが生まれた。
彼らは卓越したセンスだとか話術を持ってはいるが、芸能人ほど厳しさに揉まれてはいないだろう(人前でなにかを披露するということにおいて)。
しかし、彼らインターネットでの活動者は無限にいるから、少なくともテレビほどは限られた一部分に視聴者が殺到するということはない。インターネットのキャパシティは、テレビとは違ってほとんど無限大だからだ。テレビは10個くらいしかないチャンネルで、同じ時間帯に一つの番組しか放送することが出来ない。
 
そして、なによりもインターネットは双方向のメディアだった。
俺たちは動画にコメントを送ることができ、動画投稿者や生主はそれらを閲覧することができる。それに反応もしてくれる。
それは、街中でたまたま見かけた芸能人に握手してもらって、少しだけ会話してそれっきり、というのとは全く違う。
 
芸能人はどこまで行ってもテレビの向こうの人だが、動画投稿者とは友達になれる余地がある。
 
ここで問題になるのが、有名無名のいざこざだ。
動画投稿者や生主であっても、てっぺんまで上り詰めた人はもう芸能人に相違ない。彼らに「友達」を求めていた人の望みは、有名になってしまった彼らにはもう叶えられないのだ。
 
有名な人は無名な人の上位互換ではない
 
芸能人やトップ層の動画投稿者が好きな人は、友達を求めるよりもどちらかというとアイドルの存在を求めている人たちだろう。
ただ、両者がそんなにすっぱり分かれるとは限らない。
0が友達志向、100がアイドル志向だとして、20の人もいるだろうし、89くらいの人もいるだろう。何なら、0と100をそのまま兼ね備えている欲張りさんもいるかも知れない。
 
俺もやはり、無名な頃から知っている人を、有名になってしまった今、同じ目で見ることはできない。
ただ、俺は動画にコメントをする習慣というのはあまりなくて、さっき言った動画投稿者の人とコミュニケーションをとったことはそんなにないから、以前友達レベルの付き合いがあった人たちほど切実な気持ちではないと思う。
現に俺は今でもその人の動画見てるし。ただ、昔はたまにしてたコメントの数は0になった。
 
あるゲーム実況者の一角で(多分)もっとも高い再生数のアベレージを取っている人(Bさんとしましょう)が言っていた。
「全然僕が有名じゃなかったときから応援してくれてた人、名前も覚えてます。有名になったから見るのやめるっていう人いますけど……僕らは全然軽んじてなんかないのに、残念ですね」
 
俺は、覚えてもらえているだけでは足りないんじゃないかと思う。
最早今のBさんとかつての視聴者にコミュニケーションが成立する機会はあまり現れないだろう。Bさんは忙しい。昔の視聴者を、思い出の人だからといって立場上贔屓もできない。
 
しかし、Bさんの言葉もまた痛切だ。
有名になってしまったとき、友達を失うのは、芸能人や動画投稿者も視聴者も同じなのだろう。
 
 
補足
少し補足をしておきます。
芸能人を大スターとして一括にしましたが、もちろん必ずしもそうではありません。
「ファンレターが返ってくるので、ジャニーズよりジャニーズJr.を応援したい」という人もいるらしいです。
 
それから、「アイドル」という言葉をかなりざっくりと使用しました。
これは「ステージの上で歌って踊る人たち」などの狭義の意味ではないです。「可愛らしい」とか「若々しい」などの意味でもないです。
本文中においては、たとえばヒカキンさんもアイドルに該当します。