フィクションの住人たち

幻想は現実から生まれ、現実を過酷にしました。

【追記あり】歌い手の世界は厳しいって話【最後の方でおすすめ歌い手掲載してます】

追記 2020年4月14日
 
やはり、考察に甘いところがあった。
むしろ2015年は最盛期ですらあったと言えるのかも知れないらしいです。
 
 
また、リンク先の記事を参照する限り、ニコニコ動画全体は衰退の一途を辿っているのは間違いありませんが、「歌ってみた」カテゴリにおいて、大きな数字の推移はないように見えます。グラフでは見えないところの変動がないとも言えませんが。
では、以下が本文になります。
 
 
一個目の歌ってみた動画を投稿して一ヶ月くらい経った。
俺はこれまで歌ってみただとかボカロを取り巻く世界のことを、ごく表面的な部分を漠然と眺めたことはあってもその細部まで目を向けたことはなかった。
 
このカテゴリーに限らず、動画投稿者が成り上がっていくことが困難だということは端から承知の上だったが、全体像をうっすらと知っているのとディティールがある程度わかるのとでは、やはり受け止め方が違ってくる。
  

ニコ動・歌ってみたがオワコンって言われ始めてから長い

振り返ると2015年当時はまだ一大コンテンツの地位にあった 
俺がボカロや歌ってみたをざっくり聴き始めたのは確か2015年のことだ。
当時から既に「ニコニコオワコン」「ボカロオワコン」「歌ってみたオワコン」などと嘯かれていて、俺もそうだなあとあまり考えず納得していたのだが、今から振り返ればまだ十分に当時は盛り上がっていたよなと思う。
 
なんといっても、ニコニコ動画の歌ってみた動画の中で2番目に再生回数が多いのは2015年に投稿された動画だ。
その動画のことは投稿後2ヶ月くらいから知っているが、まさかここまで伸びるとは思わなかった。
ちなみに今は1000万再生を優に超えている。
 
2015年当時、「新人の歌い手はどのくらい注目されるのだろう?」と思って、新着の歌ってみた動画を少し漁ったことがある。
 
かなり独断と偏見の交じる話になるが、俺の基準で「カラオケレベルで結構うまいかな」と思った人が1000再生くらいをとっていた。
当時俺は「これなら自分が参入しても多少なら注目してもらえるか?」と思ったものだった。
(ただ、俺はツイッターなどのフォロワー数による拡散力を過小評価していたので、この見立てにはそもそも穴があると思う)
 
しかし現在は本当に深刻である
故あって俺は2015年当時は歌ってみたに参入しなかったのだが、今になって参入した。
そこでニコニコ動画だとか歌ってみただとかの近況について探ってみたのだが、そこで俺は驚愕したのだった。下火って言われてた4、5年前よりもニコニコ動画は遥かに廃れきっていたからだ。
 
廃れていくことそのものは自明の理だった。それは2015年当時に「これからさらに人が離れていくぞ」と言われまくってたこともそうだし、栄枯盛衰が自然の摂理だからだ。
ただなんというか、俺が底だと思っていた部分よりも深層にはまだまだ空間が広がっていたことに気づいた、といったところだろうか。
 

歌ってみた 再生数の低迷

 
これも独断と偏見の話が存分に入り交じるが、俺の感覚で「あんたどっかでプロとしてやってんじゃないの?」という人のアベレージが200再生くらいということもざらだ。
SNSで少し注目されている人でさえそのくらいだから、歌唱力だけで取れる数字はそれをさらに下回るだろう。
 (ていうか冷静に考えれば200回も動画を開いてもらえてるってかなりすごいことなんだけど、俺達の感覚は成功者たちによって麻痺している)
ニコニコ社会ととYouTube社会の違い
以上はニコニコ動画での話だから、現在の動画投稿サイトの覇者であるYouTubeであればもっとたやすく再生回数を伸ばせそうなものだと思ってしまいそうになるけど、YouTubeには新人が発見されないという致命的な欠陥がある。
YouTubeには有名な人がさらに注目される仕組みしかない。
(欠陥というより、最大限効率化された形態だということもできるだろうけど。効率化された社会というのは貧富の差が拡大するものである)
ニコニコとようつべ両方動画をアップロードしている人の同じ曲の歌ってみたを比較しても、(有名な人を除いて)大抵ニコニコの方が再生回数が多い。
 

歌い手志願者は殺到している

ニコニコ動画の衰退とともに(そしてYouTubeは完全にはニコニコ動画の代替足り得ない)、それを抜きにして考えた歌ってみたの世界の変化も大きい。
機材調達などの敷居が昔よりも圧倒的に低くなったため、それはつまり「強い意気込みがなくても歌ってみたを投稿できる」ということなので、一見これは歌唱力の低迷を示唆しそうだ。
実際に、mix氏さんの方々から最近の歌い手の音声データの品質の低さへの嘆きの声というのも度々耳にする。
 
再生回数の低迷と歌唱力が反比例している印象
ただ、俺にはどうしても歌唱力のレベルが落ちているとは思えない。
「再生数が低いけど実力派」を探そうと思えば結構簡単に見つけられる。
俺の勘違いなのかもしれないが(そもそも昔より今のほうが真剣に探しているし)、以前はこんなに簡単にうまい人は見つからなかった気がする。
 
以上から、俺の感想をまとめるとこうだ。
「歌唱力がインフレし、再生回数はデフレしている」。
 
歌唱力がインフレしているように俺が感じる理由の仮説を一応立てた。
「人に歌を聞いてもらう」敷居が低くなって、歌い手志望がただ増えただけではなく頑張って歌を練習する人も増えたから、というのはどうだろう。
これで一応説明はできているとは思うが、しかし、正直自分で言っていて腑に落ちない面もある。
「歌い手にならみんななれるチャンスがあるから練習する人が増えた」程度では、歌唱力がインフレを起こすトリガーとしては要因が弱いように感じる。
 
「練習した程度」と言ってしまうことになったが、決して歌い手の人たちの努力を軽視しているわけではない。滅茶苦茶練習をしていそうな人の歌を聞いても「こんなに頑張っても本当に上手い人との差って埋まらないもんなんだなあ」としんみりすることが多いから、このように考えたまでだ。
(それから補足しておくと、練習が一切必要ないなどと寝ぼけたことを思っているわけではない。天才+努力を兼ねた人間のみが飛び抜けて歌のうまい人間になれるのではないかというのが俺の考えです。ただ歌上手い人の中で、血の滲むような努力がなければある程度のところまですら到達できなかった人っていうのはそんなにいないんじゃないかな。最終的なレベルが高い人は、大概最初からある程度うまいと思います)
 
数年でいきなり天才側の人口比がドカンと増えたなんてことはさすがに考えられないし、2015年当時と現在に感じる差はやはり昔の俺のリサーチ不足によるところが大きいのだろうか?
「歌唱力は天才のもの」と見なしている俺の考えもやはり間違っているかも知れない。俺の言ったことは印象に過ぎない。科学的根拠も客観的な統計もない。
 
歌い手供給過多
再生回数のデフレの原因は、十中八九歌い手の供給過多によるものだろう。上手い人もアホみたいに多い。この場においての「上手い」の基準には、友達同士のカラオケで目立つレベルの人は入れていない。
 
歌い手のブーム自体が終わってしまった、歌い手という存在そのものから世間が興味を失ったようには感じない。トップ層の人たちの飛ぶ鳥を落とす勢いは健在だ。
むしろ視聴者の方が足りていないように思う。このごろ動画を作って投稿するよりも、視聴者に徹したほうが有意義なのではないかとすら思い始めてきた。
 

 

最近発見したうまい歌い手の方々

 
最後に、俺が個人的にいいなと思った歌い手の方々を何名か掲載して、ささやかながら応援させていただくとしますか。
 
 
ちゃっかり自分の宣伝もするからな。
 

さいごに

 

私見を延々と述べたが、最初の方で申し上げたように、俺は新参者のひよっこである。

見当外れなことをまず間違いなくひとつやふたつ言っていると思うので、ご意見やご指摘などあればむしろ歓迎です。昔の肌感覚というものは検索しても出てこないし、調べるのが非常に難しいので、大変参考になります。