フィクションの住人たち

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主人公機っぽくない主人公機(ロボット)3選【ダークヒーロー】

主人公のロボットといえば、機動戦士ガンダムRX-78-2(普通のガンダムのことです。ガンダムって呼ぶと他のガンダムが紛らわしいので)のヒロイックなデザインをまず思い浮かべる人が多いだろう。
白を基調としたトリコロールカラーの配色は、いかにも主人公ですといった佇まいだ。細身でスタイルがいいというのもポイントのひとつかも知れない。
 

 
 
主人公という役柄には大体「世界の命運を救う」という役割が与えられる。
ならばその役割に準じた機体を与えられてしかるべきだ。
機動戦士ガンダムにおいては、RX-78-2のパイロットであるアムロ・レイも軍人の一人に過ぎないのだからこれは当てはまるかどうかというのは微妙なところだが。
 
しかし近年(近年というのがいつからを指すのかはわからない)、ひたすらヒロイックな主人公というのは流行らなくなってきたというか、胡散臭げに見られるようになってきている。それは作り手も受け手も善悪の分類というものがいかにエゴに基づかれているかということを考えるようになってきたからなのだろう。あるいは、我々の中のフラストレーションが、自己投影の先をもっと破壊的な方向へ見出すようになってきたのか。
 
その時代の変化は、ロボットアニメでいうと主人公の機体のデザインに現れている。
例えばエヴァンゲリオン初号機。
 

 
 
こいつを初めて見たときは絶対に悪役だと思った。おまけにパイロットが素朴な少年なので、ギャップによってより一層意味がわからなかった。
エヴァという作品の陰鬱な中身を象徴しているかのようなデザインだ。
また、この強面の外見は初号機の本来の姿ではなく、鎧のようなものである。この中身はエイリアンみたいにグロテスクで、さらに主人公っぽさからかけ離れている。
 
今回、善悪の概念が混迷している時代の中から生まれた「主人公っぽくない主人公機」を3つ選んできた。
エヴァンゲリオン初号機は定番過ぎたので、頭数には入れていない。初号機を除いて3選だ。
 

1.インパルスガンダム機動戦士ガンダムSEED DESTINY

 

 
 
 
言いたいことはわかる。この「インパルスガンダム」は機動戦士ガンダムの後継作品の中でもとりわけRX-78-2の要素を色濃く受け継いでいて、どう見たってヒロイックな見た目をしている。
一見今回のテーマには適していない。
しかし、今回のイチオシはこいつだ。
 
秘密は劇中での活躍にある。
パイロットのシン・アスカはMS(ロボット)の交戦による流れ弾で家族を亡くした過去を持つ。
彼はかつて自分の故郷に愛着とか忠誠心を持っていたのだが、故郷の指導者が戦争へ参加する意思を表明したことで戦火に巻き込まれ、家族が殺された。
 
シンは家族を守れなかった無力感と、故郷や戦争への恨みの中で鬱屈した不安定な性格に育った。趣味が読書であったり、静かにパソコンをいじっている様子が亡き妹のケータイの中に写真として残っているなど、本来は穏やかな少年であった様子が示唆されている。
まずここが「ヒロイックな主人公像」とは一線を画している。
 
そんなシンが操るインパルスガンダムは、たとえ見た目がヒロイックであろうとも悪魔のように映るのである。
 

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前作主人公キラ・ヤマトとの対決時のインパルスガンダム
シンの家族はキラ・ヤマトの流れ弾で犠牲になった(後からなかったことにされたけどどう考えてもキラの流れ弾で死んでた)。
そしてシンと恋人関係にあった女性もキラによって殺された。戦争なので逆恨みもいいところなのだが、とは言ってもシンの心中は察して余りある。それにこういう感情を制御できない未熟さもひたすらヒロイックな主人公にはない人間味であり、彼の魅力である。
 
また、このときシンのとった戦法が悪党の戦い方だった。
母艦を助けに早く戻らなければならないキラに粘着し、おまけに「不殺主義」によってコックピットを狙わないキラの弱みにつけ込んで弾道を予測したり挙句の果てに自分のコックピットを盾にしたりしながらじりじりと追い詰めた。その上、とうとう痺れを切らしたキラがコックピットを不意打ちで横断しようとするもそれを完璧に見切って躱してみせた。
 
 

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インパルスガンダムにはいくつか形態があって、これは近接戦闘に特化した「ソードインパルス」という形態だ。
これはシン・アスカが初めて種割れ(ざっくり言うと超サイヤ人になったみたいな)を起こした戦闘での一幕である。
 
インパルスやシンの母艦が罠にはめられ、敵対組織の艦隊に取り囲まれながら防戦一方で絶体絶命の状況まで追い込まれたのだが、シンは走馬灯の中に失った家族を見て覚醒した。1機で敵を全部滅ぼした。
また、シンの一行を罠にはめたのはかつてのシンの故郷だった。そこはオーブというかつての永世中立国だったのだが、確かシンの一行はオーブの要人を預かっていて、それをオーブまで送り届けた。シンは渋々それを手伝っていた。
 
オーブから出立したシン一行は、敵対組織の待ち伏せに合う(オーブとは違う組織)。確かそれはオーブの密告によるもので、シンたちは恩を仇で返された形となる。前方には敵対組織の地球連合軍が殺気立っており、背後は傍観を決め込むオーブによって退路を絶たれている。
 
シンにとって、オーブからの二度目の裏切りとなった。
シンが蹂躙したのは地球連合軍の大艦隊だが、本心ではその矛先はオーブに向かっていたのだろう。敵艦隊を壊滅させた後、シンは据わった視線をオーブへと送った。
 
 

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どう見ても悪役である。
 
「ダークヒーロー系主人公」はいつからか流行り始めている。
ただ俺は形だけのダークヒーローが多いかなと感じていて、各作品においてダークヒーローの主人公が出す結論というのは大抵の場合そこらへんの普通の主人公たちと大差ない。
主人公と魔王の立場を入れ替えたような作風であっても、結局主人公は主人公で魔王は魔王なのである。
 
しかしシン・アスカは違う。なんと行っても主役を降板させられ、いつの間にか前作主人公のキラ・ヤマトが主役に置き換わっていた。
途中からシンはただのヒールにされていた。お前こそ真のダークヒーローだよ。
これがSEED DESTINYという作品そのものの大不評を呼んだ原因のひとつにもなった。
ただ俺はシンに面白みのないクリーンな主人公にはなってほしくなかったので、シンが主人公のまま話が進んで、他のダークヒーロー作品のように最初は尖ってたけど結局普通の主人公になってしまうような展開にならなくてよかったとも思っている。
 
 

2.ヴェルトール(ゼノギアス

 

 
 
ゼノギアスの認知度というのがどれほどなのかいまいち掴めない。
独断と偏見によると、「名前を知っている人はそこそこいるが中身を全く知らない人がほとんど」だと思っている。
ゼノギアスが鬱ゲーだと言われていることまではご存知の方も多いと思う。
実際、このゲームはエヴァンゲリオンのもたらした流れのようなものが組み込まれていて、序盤など何の救いも見いだせないほど暗鬱である。
 
未プレイの人も多いだろうし、ゼノギアスの世界はネタバレ禁制のような雰囲気もあるので、多くは語らないことにする。
「主人公が禍々しいロボットに乗っている」という情報から期待するような衝撃的な展開は起こるだろうと言っておく。
 
 

3.ブラックサレナ(機動戦艦ナデシコ THE PRINCE OF DARKNESS

 

 
 
俺が知る中で一番主人公っぽくない主人公機だ。
黒を基調としたカラーリング、おまけに横幅が広い。
 
パイロットはテンカワ・アキトという青年なのだが、厳密に言うとこのとき彼は主人公ではない。
機動戦艦ナデシコにはTV版と劇場版があって、アキトはTV版の主人公であって劇場版の主人公ではないからだ。
TV版ではもっとヒロイックなロボットに乗っていたし、アキト本人の人格もダークヒーローと呼ぶべきところはなかった。優しい好青年という感じだった。
 
ブラックサレナという諢名は黒百合の意を持つ。花言葉は「復讐」らしい。
 
TV版の最終回と劇場版の劇中時間には数年の空白があって、その間テンカワ・アキトは妻のミスマル・ユリカ(TV版のヒロインで本編後に結婚)と共に死亡したとされていた。
詳しい説明は省くが、アキトとユリカは特異体質を持っていて、モルモットとしての価値が非常に高かった。そこに目をつけられ、拉致されていたのだ。
 
アキトもユリカも実験の道具にされた。具体的に何をされたのかは知らないが、アキトは五感の機能が何割か失われたと語る。
また、アキトはコックになるのが夢だとTV版の頃から何かに付けて言っていた。料理への思い入れは何度も描かれた。TV版と劇場版の空白時間には、アキトはラーメンの屋台をやっていた。しかし、失われた五感の中でも特に味覚が致命的らしく、アキトはもう以前のように料理を楽しむことは出来ない。
 
未だ囚われているミスマル・ユリカの救出と復讐のためにアキトが駆った機体、それがブラックサレナだ。
 
TV版の機動戦艦ナデシコはラブコメ感が結構押し出されていて、一見ロボットアニメと言うよりギャルゲーの延長上で見られてしまえそうな作風だった。それが劇場版では翻って、硬質で重たいシナリオになったというギャップがある。
 
ただ、TV版に価値がなかったかと言うと俺には絶対にそうは思えない。表面上こそTV版のナデシコはラブコメ+おまけのロボットと戦争要素だったが、平然と人間の業やパラドクスを突いてくるような鋭さがあった。テンカワ・アキトはラブコメの主人公らしい人当たりのいい好青年ではあったが、他の人間が素通りしていることをひたすら考えてしまう繊細さを持った主人公でもあった。
 
TV版と劇場版は雰囲気が一新されたが、頭角は既にTV版の時点で現れていたし(頭角が現れてたと言うかあれを劇場版のおまけだと言うには面白すぎる)、お膳立ても整っていたのである。
 

さいご 

 
以上である。また~~の~~何選みたいなのはやろうと思っている。
またお会いする機会があればよろしくお願いします。